Yasushi’s diary in Japan ー SDGs達成に向けた日々

開発援助の現場から離れましたが、企業との協力によるSDGs達成を目指す日々を綴ります。

11/28-12/2 任地→首都(開発ワーク→遊ぶ)

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難民居住地内の移動区間


f:id:yasushi-wonder:20171209190232j:plainf:id:yasushi-wonder:20171209185744j:plain※前回の決意が反映されていません…ご了承下さい。

 

11/28(火) ストーリーを描く。実行する
赴任から一か月が経とうとしていることもあり、本日は午後から
任期中に行うべき活動計画を立てた。頭の整理が目的だ。
この赴任期間中の活動目標、それを発現させる為に必要と思われる活動を挙げた。
(今後、目標自体も修正となる場合がある)
1. イシンジロ県における主要作物の推奨作付け技術の実証
2.1の技術を対象農家に移転する。
3.対象作物の販売網を拡大する。(市場調査、マーケティング
加えて、こうした成果の発現に必要と思われる活動を一つ一つ、積み上げていく。
すると多くの活動が必要であると気づかされた。
今すぐにでも、活動を履行しなくてはならない。

11/29(水) 稲作振興プロジェクト・フェーズ2(仮題)
今日は難民農家グループに対する聞き取り調査の前段階として、
質問内容を精査する為のパイロットインタビューを実施した。
日ごろから付き合いのある難民農家に対して、稲作の実施状況を聞いた。
以下4つの項目から聞き取りを行った。
・作付けの実施状況と収穫量、
・現在の課題
・今後の技術研修で期待する項目
・米の消費動向
受け手はブルンジ人の農民であったので、ブルンジ語のできる同僚を介して質問を実施した。
その後、同僚との振り返りを行った所、質問数が多すぎること、
プロジェクト立案と本質的に関係ない質問があることを気づかされた。
自分が作成した業務計画に沿った場合、来週迄には修正した質問票を完成させなくては・・・。
翌日、国立作物資源研究所の研修担当者より訪問連絡あり。
目的は居住地内の稲作の履行状況の確認とのこと。正にタイムリーである。
早速、インタビュー結果を送付した。
だが、その間に一つ、大事な質問を忘れていたことに気付く。PDCAあるのみ。

11/30(木) ロジ
本日は午前から首都へあがる予定であったが、
急きょ発生した稲作研修担当の専門家による居住地視察にアテンドすべく、移動時期をずらす。今後の稲作技術研修の実施において、この方とのやり取りが増えるだろう。

難民居住地への道中、専門家と今年行われた稲作研修の話をした。
通常、UNHCR・日本政府担当者間で研修実施までのロジが行われるのだが、
UNHCRのロジは水準が低く、研修日時や受講者の間違えがあったという。
日本政府側が実施機関だが、全て丸投げにしているのだろうか。
来年の研修計画立案には私が携わる予定だが、また同じ結果にはしたくない。
といっても、私がいなくなった後、また同じことになってしまえば元も子もないのだが・・・。
夜、首都に戻る。中華料理屋で焼き飯のような物を食べた。美味しかった。
自分でも作れるようになりたい。

12/1(金)首都帰還
本日は赴任先の上司(ローカル)を連れて、職場のVolunteer dayなるイベントに参加した。
会場のホテルで久しぶりの美味しい料理を食べる。
ウガンダでは日常的な11時のティー・タイム。スコーンがおいしかった。
(写真を撮り忘れてしまった)
途中、中等学校における体育の話があったが、上司が学生の頃、
体育の授業はなかったと言う。思えば、体育は私の一番好きな科目だったが、
この国では体育が科目として認定されてないとのこと。
夜は同僚と共に、久しぶりの夕食を中華料理屋で食べる。餃子が美味しかった。
こうした時間が、仕事へのモチベーションになっているのかと思う。

12/2(土)自動二輪・ケーキ・格差
本日は自動二輪の講習であった。
難民居住地内での移動が目的である。
居住地内では図のように、活動に応じて各拠点間の移動が発生する。
※ボダボダ(バイクタクシー)の使用は安全上、禁止されている。
この一か月間はバイクのように自由に移動することが制限されていたので、
今後の活動範囲が広まることが嬉しい。
午後、同僚とウガンダ博物館のケーキ・フェスティバルなるイベントに参加した。
写真のように、さながら駒沢公園、代々木公園のような雰囲気であった。
ウガンダのケーキは余り好きでなかったが、ここのケーキは美味しかった。
しかし同時に、周りの明らかにアッパークラスな婦人たちを見ると、
私のいる赴任先や、難民居住地の住人とは明らかに違う佇まい。
まるで別世界の住人なのかと思わされる。
これまでもフィリピンのバギオで同じような光景を見た。
日本でも成城や、六本木一丁目のように東京の人間でも驚くような地域があるが、
ここまであからさまな格差は感じられない。
(それは自分が中間層に所属しているからだろうか。)
開発ワーカーとしては、この首都滞在期間では複雑な心境になることがある。
自分に出来ることは、難民経済を分析すること、生計向上につながる実績を残し、
バトンを繋ぐことだと思う。