Yasushi’s diary in Japan ー SDGs達成に向けた日々

開発援助の現場から離れましたが、企業との協力によるSDGs達成を目指す日々を綴ります。

1/23(火)走りながら考える

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写真:同僚と共に刈り取りの実演をする。(撮影:農家)

8:00

早朝からオルチンガ難民居住地にて新規稲作農家の収穫に立ち会う。同僚からの依頼を受けたのは前日。そのグループは12月にインタビューをしていたのに、気づかなかった。1月は別件に注意が向いていた。反省。私から声がけするべきだった。

当日朝にふと、頭をよぎったのは「彼らは収穫作業の道具を持っているのだろうか」。急ぎ作業道具を用意する。現場ではやはり別の農家から借りたSiro(稲刈りに使う鎌)しかなく、その場で収穫、脱穀は難しいと判断し、収量調査として坪刈りのみを行った。明日までに必要な資材を調達して、改めて収穫作業を行う。そのための調整作業で午前の時間は費やされた。昼食を取り、一度町中の拠点オフィスに戻ると、そこには同じ部署の同僚が、別れ際の彼の言葉には衝撃を受けた。職場との契約更改できなかったという。

かける言葉が見つからなかった。

 

14:00

午後からはナチバレ難民居住地のJuru zoneにて農家グループへのインタビューを行う。拠点担当の同僚、Mr.Dentonは去年以来、久しぶりの再会だ。オフィスは停電で薄暗い。面白いことに部屋を出れば、小学校の教室かと思われるスペースがある。今日は、以前から進めている農家の現況把握をしたかった。

彼らの拠点にいくと、そこにはUNHCRのテント片(化学素材、収穫物の脱穀や乾燥に使われる)が広げてあり、稲籾の山が積まれている。すでに脱穀済みであった。聞くと、前任の行ったトレーニングだけでなく、去年研究所で行われた研修にも参加したとのこと。稲作も3回目であり、作業も手慣れているように感じられる。質問事項は私が英語で、同僚がそれをキニアルワンダ語に直して行う。それまで頼りなさそうな同僚も、この時ばかりは語学のプロか、と思うほどの流暢さだ。なぜ彼がこの言葉をつかえるのか、聞くのを忘れた。次の予定があったのだが、今回のインタビューでは複数の農家を前にして行った。予定時間をオーバーする結果に。今回の質問では踏み込んで、必要十分な生活を送るには、どれ程食べたいのか。どれ程の所得が必要か、という質問をしたところ貰った回答は「1日1kg」である。多すぎるだろう。

私の反応を見た同僚の確認もあり、性格には2日で1kgと訂正された。それを基に、彼ら(13人)全員が4か月間食べるとして必要な収穫高はXkgであり、YAcre分の作付けが必要です、と回答した所、それほどの生産は難しいと難色を示していた。その後、農家からの質疑応答の一つで、ある機械導入を依頼するものがあった。それは私がこの難民居住地で実現したいことの1つだ、やり取りの中で農家から出た意見で、今まで考えてもいなかった

アプローチが出た。面白い。でも実現するのか。なんとも熱狂的なインタビューだった。

 

16:30

夕方(といっても強い日差しが続く)、拠点を移しBase camp zoneである男と面談をすることになっていた。彼はMr.Eraste、

ルワンダから来た難民で、かつてJICAの東部農業生産性向上プロジェクトに関わっていた男だった。2010-2013年の間、野菜栽培、稲作の普及員としての訓練を専門家から受けていた。

(その専門家は私の職場の同じ部署の方だった、しかもそのプロジェクトの話を聞いたこともあった)。今の事業構想の中に、彼に、農業実務家として普及活動を支援してもらいたい、という目論見がある。今日は話を深堀りできる程準備をしておらず、また次回面談することになったが、彼からは依頼したい業務を紙にまとめてこい、との要請が。確かに。頭も整理できていない中での面談は失礼であった。同僚から帰宅を促され、今日の面談をおしまいにした。

 

22:00:

相変わらずトマトリゾットを作って食べる。美味しかった。

幻冬舎見城徹社長へのインタビューを某サイトで読む。「書くことは自己救済である」との件は奥が深い。であるならば、書くべきだろうか。昨日の夕方、仕事上で疲れていたのもあり、過去に好きだった子の名前がネット上で引っかからないか、検索していた。でもなぜか、フルネームで調べられなかった。所属・名前の一部で調べていた。残念ながらヒットしなかった。今日もなぜか、車の中で考えていた。残念ながら、何も解決しない。